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八石山の伝説

不動滝

その名のとおり滝つぼ近くに不動様の像がおまつりしてあります。この滝は水の量が多く、高さは約25Mもあり滝つぼもとても広い。
昔から不動滝近くの乱穴(城の宝や食料を隠したり、敵に追い詰められた時に隠れるための穴)には、落城したときに善根の殿様が宝物を埋めて隠したとか、金のニワトリが隠してあるとか、また満月の夜にその鳴き声を聞いたものは死んでしまうとかいう話もあった。
この話を信じた人達が、何度も掘り返してみたが、深く掘れば掘るほど気分が悪くなり皆あきらめてしまったといわれています。
またこの話とは別に、空襲が激しくなった大東亜戦争のおわりころ、皇居を八石山に移すという話がもちあがり、しかも皇室の財産や戦利財産など八兆円もの宝が、この滝近くのどこかに埋められたといわれています。
地元の人々は信じなかったが、大阪や名古屋ナンバーの車がたくさんやって来て、この宝をさがしていたそうです。そしてケモノ道のような林道が、その人達にとって車の通れる立派なコンクリートの道に舗装されました。
首謀者である大阪の坂東なにがしという人物は、その頃の陸軍参謀本部の軍人であった。極秘文書を手に入れ暗号を読み取ると「標柱が三本あるはずだ!、それを探し当てれば宝が見つかる!」と、三年も続けたが江戸城埋没金発掘騒動のように、宝探しはけっきょく夢のまた夢に終わった。

屏風滝

屏風滝は名前を聞いたことはあるが、実際にどこにあるのか場所を知らない人が多いと思われる。
久之木の奥の深い谷で村人もめったに近づかないところだ。昔あるとき、山菜をとりに村人がこの滝にいくと、痩せこけた青年が水に濡れた衣を石の上で乾かしているのを見つけた。体が弱っているようだったので、無理やり連れて帰りかいほうした。
しばらくして、元気をとりもどした青年が、「私は修験者で3721日の修行をしていたが、夜になると滝の上から鍋ぶたのような大きな口をもったものが下りてきて私に息を吹きかけてきた。おっかなくておっかなくて(怖くて怖くて)どうしようもなかったが、これも試練だと思って一心不乱にお経を唱えじっと我慢してきましたが、明日が満願(まんがん)の日だったのです。」と話した。
村人は、その大鍋のような口をもったものは神様ではなく八石に住むバケモノにちがいない、明日までいたらあなたは生き血をみんな吸われて死んでしまったかも知れない、きっと神様がお助け下さったのだ。となぐさめてやったというはなしがあります。

八石城の殿様の悲話

この伝説は、歴史を書いた書き物にはなにもなく、根も葉もないはなしとされているが…。
善根の殿様は、佐橋荘でも勇気があり情け深いので、みんなから敬われ、慕われていました。これをねたみ憎んでいたのが北条城の殿様だった。毎日、城のやぐらに上がっては八石城の様子を眺めていた。夏のある暑い日に、八石城は高い山の上にあるから水が足りなくなるだろう、その時に火攻めにして滅ぼしてしまおうと考えた。善根の殿様は、そんなことだろうと察して、たくさんの飼いば桶に白米を一杯に入れヒシャクで馬の背中にどんどんかけさせた。これを見た北条の殿様は、この日和に馬を洗う程の水があってはとても火攻めなんかできない、何かいい方法は他にないものかと、いろいろ考えた。そして、自分の可愛い娘を善根の殿様のお嫁さんにやることを考えた。
善根の殿様は、いつまでも北条とにらみあっているより、もとは同じ毛利なのだからと喜んで承知し、にぎやかな婚礼の式をあげた。
しばらくしてから北条の殿様が善根の殿様に、久しぶりにくつろいで一杯やろうではありませんか、と案内を出した。
善根の殿様は喜んで少しの家来を連れて北条城へやってきた。城では、珍しいご馳走で下へもおかないもてなしをした。
家来達にも沢山の酒をすすめ、唄うやら踊るやらの大賑わいになった。そのとき北条の殿様は、善根の殿様に風呂をすすめた。
何の疑いもなく心を許していた善根の殿様は、長い道のりの汗でも流そうかと裸になり、風呂場まで案内してもらった。
ところが、前からたくらんでいた北条の殿様は、頑丈な入り口の戸に頑丈な鍵をかけ、火をどんどんくべ、とうとう蒸し殺にしてしまった。
さらに、酔っ払っていた家来たちも全員きり殺してしまった。このことは、すぐに善根の城へ伝わった。驚いた善根の奥方(北条城の娘)は、家来を引き連れ北条城へ馬をとばして仇討ちにでかけた。南条の追田川まで来ると橋が落とされていて、北条勢が迎え撃ちの態勢で待っていた。
奥方は北条城をきっとにらみ「父とはいえあまりにも卑怯な」と、持っていた槍を投げつけひき帰した。
(現在、この橋は「駒橋」または「駒返し橋」と呼ばれています。)
その後、北条城の上から直径2メートル位の大きな火玉を先頭に、後に小さな火玉が20個ばかり2列になって与板の周広院まで飛んでいき北条城と周広院では家鳴り、振動激しく、読経の声が絶えなかったそうです。

十三ヶ滝(じゅうさがたき)

どうしても、この恨みをはらそうと、血気にはやる十三人の侍が、日がくれるのを待って北条城に忍び込もうとしたが、かえって散々な目に合い追田から山を越え赤尾の奥の奥のこの沢へと逃げ込んだ。(現在、「馬越」という地名が残っています。)
この峰をつたって八石山の南の端にある善根城へ帰ろうと無我夢中で崖をよじ登ろうとしたが、雨が降り真っ暗な闇の中で滑ってしまいみんな谷底に落ちて死んでしまいました。
それ以来この滝は「十三ヶ滝」と呼ばれるようになりました。赤尾の奥にあり、今ここには不動明王がおまつりしてあります。

十三ヶ滝不動明王

八石山に登らない日

善根の人達は殿様が殺された日が4月18日で、この日に山に登ると殿様のたたりがあり、怪我などの事故があるからと、八石山の山登りを止めています。

雷休権現(らいきゅうごんげん)

善根の殿様が殺されてからは、毎日のように八石山城のあたりから黒い雲に乗った雷が北条の城あたりで暴れまわり、田んぼや畑に落ちて荒らしまわった。(今現在、このあたりが荒町と呼ばれている由来だそうです。)
北条の人々は、これは善根の殿様のたたりだと大変恐れ、普広寺の和尚さんにお願いして雷を鎮めてもらいました。
和尚さんは、寺の境内にやしろを建てて権現さんとし、雷休権現と呼びました。
その後、村の小さなお宮を八つ集めて現在の呼び名である八柱神社となりました。
この神社のお祭りは4月18日に行われますが、善根の八石山へ登るのを禁止している日と同じなのは何か関係があるのだろうか…。

窓池

南条八石と赤尾八石の間に窓池(または雨池(あまいけ))という小さな池があるそうです。昔、餅をついた臼と杵を田尻の佐藤ヶ池に投げ込んだ。
ところが、その杵が八石山の頂上に飛んできてこの池ができたというので「佐藤ヶ池の窓池」と呼ばれているそうです。